ふつうの人のふつうな生活

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読書感想:ジェーン・スー著『生きるとか死ぬとか父親とか』

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ジェーン・スー著『生きるとか死ぬとか父親とか』を読了しました。

生きるとか死ぬとか父親とか

生きるとか死ぬとか父親とか

 

「私が父について書こうと決めたのには、理由がある」――。
24歳で母を亡くし、我が家は、父と娘の私だけに。それから20年が経ったけれど、いまだに家族は増えていない。気づけば私は40代半ば、父は80歳になろうとしている。
いま猛烈に後悔していることがある。母の人生を、母の口から聞かなかったことを。母の母以外の顔を知らないまま別れてしまったことを。
父については、もう同じ思いをしたくない。
もっと、父のことを知りたい。もう一度、父と娘をやり直したい。それには、これがラストチャンスかもしれない――。
戦時中に生まれ、戦後社会に飛び出て、必死で働いた父。母との出会い、娘の誕生、他の女性の影、全財産の喪失、母の死……。
父への愛憎と家族の裏表を、娘の視点で赤裸々に描く傑作エッセイ。(Amazonより引用)

読むに至るまでの経緯

恥ずかしながら、ジェーン・スーさんのことをあまり知らず、ラジオパーソナリティーをされているという薄い情報と「なんか面白いし文章がきれい」という友人からのススメで読み始めました。

感想

個人的なことになりますが、私は父についてあまり知らないのです。父の生前のことも、彼がどういう人間だったのか、どうな人たちと付き合い、別れたのか。今となっては知る術はないのです。母と父は決して仲の良い夫婦ではなかったので、母に尋ねることも気が引けるというか。そんなわけで、どうせ父親と子の話なんて共感もできないだろうし、つまんねーだろうなという気持ちで読み始めました。失礼すぎるスタート。

友人の言うように、とても文章が美しい。読みやすい本だと思いました。共感はできなくてもスラスラ読める。特に美しいと思ったところ、また共感ができた部分を抜き出してみる。

母の最期にまつわる様々な場面で、私は目に焼き付くような光景をたくさん見て、忘れられない思いをたくさんしたはずなのに。大切な記憶を永遠に留めておく術が、私にはないのだ。

身内を無くした、大切なひと、ペットなどを亡くしたことがある人なら誰でも共感できるんじゃないかな。私は人より記憶力がいい方みたいなんだけど、やっぱりたくさんのことを忘れていく。忘れられるのも悲しいけど、忘れていくもどかしさは痛みだと思う。

冬の晴天が好きだ。冬の晴天は素面だから。麗らかで、うしろめたさがまるでない

春や夏の晴天は、心が「なにかしないと損するぞ」と問いかけてくるのに対し、冬はそんな問いかけしない。春や夏はなにかに酔っていて、冬だけはその酔いから覚めさせる力があるんでしょうか。

世間が自分にジャストフィットするように作られているのが当然と勘違いし、テンポの異なる人々を態度で排斥する。忙しさにかまけ、不遜な態度には、さも理があるように振る舞う。思い当たる節がありまくりだ。

ありまくりだ。電車での乗り降りが1テンポ遅い高齢者にイラッとしたり、のんびり歩く親子連れ、勝手がわからないで右往左往する外国人…こっちは仕事中なんだぞ、と忙しさにかまけて、イラッとしてしまう。でも、自分もいつかそういう人たちに、またはそうだったのに何を勘違いしているのでしょうか。

このほかに、塗り絵をプレゼントしたが、それは一度も塗られていないことについて。塗る時間を共有するところまでがプレゼントなのだと、後悔するところ。たしかに、老い先短い人たちはきっと共有する「時間」が一番大事なんでしょう。祖母が亡くなった時も、親族一同「もっと会いに行っていれば」と嘆いていました。後悔先に立たず、いつも悔やんでしまうし、学習しないのです。

こうやって読んでいくと、この本はただの父子エッセイではなく、人生について綴られている気がします。人間はいつか死ぬ。それまでどうやって紡いでいくか。そういう教訓になるのではないでしょうか。きっとその紡ぎ方を忘れてしまい、死を目の前にした時に思い出すかもしれない。でも一瞬でも「こうしよう」と思うのも大事だと思います。